もうすぐ6歳になる長女は3歳のころ
「成長ホルモン分泌不全低身長症」と診断されました。
身体の成長を自力で行うことができないため今は毎日の自己注射で人工的に背を伸ばしています。
娘が誰よりも可愛く愛おしい
何があっても守っていこう
その気持ちはいつも胸の中にあるはずなのに、同年代のお友達に混じる娘をみるたび
やっぱり小さいな
健康な子が羨ましいな
これから先どうなるんだろう
と気弱になってしまう自分がいます。
何不自由なく育てたいと思っていたのに、想像してたよりもずっと早い段階で娘に不憫を与えてしまった。
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。わたしはずっと娘に申し訳なさでいっぱいでした。
娘の葛藤
・どうして私は小さいの?・みんなは毎日注射しないんだって
・わたしは痛いの我慢してるのにどうしてみんなと同じじゃないの?
突いて欲しくないところをついてくる。
普段は物分かりのいいはずの娘はこればかりは譲りませんでした。
幼児だから今ごまかすことはいくらでもできます。でも
この治療は娘が初潮を迎えるまでずっと続きます。
夫と相談して、我が家は娘に病気のことをちゃんと話すことを決めました。
私「あのね。○○(娘)はちょっとした病気があって他の人より大きくなるのがゆっくりなの。でもそれは悪いことじゃないんだよ。毎日の注射はみんなと同じになるためのものじゃなくて、○○が強くて賢い大人になるためのものだよ。」
「そうなんだ・・。わかった。」
そういう娘の顔は5歳児の割りに落ち着いていて無表情です。
しばらく、ぼーっと考えごとをしているようでした。
わたしはこれで良かったんだろうか。
結局わたしは何を伝えたかったんだろう。
親であるわたしも正解は分かりません。
葛藤だらけだった娘と向き合い事実を話したこの日、
結局何も聞かない・言わない娘が今どう思っているのかが気になってしかたありませんでした。
自分の病気を受け入れたとき、娘は変わった
このことがあって以来、娘の身長に関する質問攻めはなくなりました。注射のたび駄々をこねることもなくなりました。
「わたしは成長がゆっくりだから、まだパパとママの子どもでいいんでしょ?じゃあそれでいいや。」
急に発したそっけなくも温かい娘の言葉にわたしは今後とも親バカでいいんだと心強くなれたのです。
娘の想いとやさしさは他にも連動します。
人の欠点をばかにしない
太ってる子を「デブ」と言いません。
「ちょっと大きい子」娘は誰かを傷つけないよう心掛けています。
すぐに手が出る乱暴な子にも
「あの子は意地悪だけど絵本のとき(読むとき?)は優しいんだよ」
聞かずとも長所を先に説明します。
「あの子もこの子も大好き」
苦手な子より好きな子のお話しをよくします。
みんな違ってみんな良い
その意味を知ることができたのは「周りと違う」を自ら体感し、時に涙し、そして受け入れたから芽生えたことです。
娘は背が小さいことで悲しい経験、寂しい気持ち、悔しい葛藤を繰り返してきました。
一時はいじめに遭い登園拒否の陥った娘だからこそそこには強い意思を感じました。
まとめ
難病指定の病気に立ち向かう我が子は私たちが想像していた以上にお気楽で、だけどものすごいスピードで自分の状況を消化し、成長し続けています。いつまでも子どもは子どもじゃないのかもしれない。
大人のようにどこか賢くて、大人でも気づかない部分で強くて優しい。
彼女が
「大人になりたい」そう思えるときまでずっと親バカでい続けよう。
娘と娘の病気と向き合い今後も前をむいて進む勇気が湧いてきました。