今日、たまたま遠方までいく用事があり、
その道のりで長いこと娘が通っていた病院を通りかかりました。
数年前わたしが娘の病気特定のため
まだ幼い2歳の長女を連れて毎週のように通いづめていた病院です。
「子ども医療センター」
地域のどの病院よりも大きく、存在感を放つこの建物の前を通るたび
わたしはその当時のいろんな感情を思い出して涙が出てしまうのです。
子ども医療センターとは??
子ども医療センター子ども(小児)医療センターは主に以下の17の診療科で構成されています。
小児内科系(7科):小児総合診療科、小児血液腫瘍科、小児代謝・内分泌内科、小児神経内科、小児循環器内科、小児不整脈科、小児救急科
小児外科系(8科):小児外科、小児脳神経外科、小児心臓血管外科、小児泌尿器科、小児整形外科、小児形成外科、小児眼科、小児耳鼻咽喉科
その他(2科):児童青年精神科、小児言語科
各専門が集結しているこの病院は頼もしい場所だけど、
だれでも気軽に通うことはできません。
〇小児科で扱えない病気
〇産院で産むには難しいお産
など特殊な事例がある場合に小児科・産院による診断書と紹介状があって初めて診療を受けることができます。
「将来身長は約130cmですね」とあっさり診断された娘の過去
娘は現在「成長ホルモン分泌不全低身長症」という病気で治療しています。ちょうど4年前、かかりつけ小児科医の紹介状をもらい子ども医療センターで病気の特定をしてもらうことになりました。
すぐにでも診察してほしかったためすぐに予約の電話を入れましたが、それでも1カ月待ちでした。
地元の診療所なら長くても1時間まてば診察してもらえたのに・・・
わたしが感じた最初の違和感でした。
予約当日、予約時間を大幅に過ぎてようやく通された診察室
1時間ほどの問診を終え、先生が言った言葉は、
「まだ、病名は特定できませんが、このまま成長したとした場合の娘さんの将来身長はおよそ130cmです。仮に成長期に伸びたとしても140cmはないでしょう」
・何でもない事をいうかのようにあっさり
・たんたんと次のスケジュールの調整
・次の検査に必要なものと注意事項の説明
「はい、じゃあまた1カ月後ね」
会計を終え車に乗ったわたしは急に頭が真っ白になりました。
将来の身長が130cmってなに??
そもそも、なんであの医者はそれをさぞ平気な顔で話すの?
まだ3年ほどしか生きてない娘に突き付けられたこの言葉にとても悲しくなりました。
もっと親身に答えて欲しかったし、もっと安心できる解決策や治療法を教えて欲しかった。
ヤブ医者!冷酷!予約も全然取れないし!
きっと子ども医療センターだからってお高く止まってるんだ!
わたしはこれからの不安と病院にたいする不満でいっぱいでした。
子どもと病気、通院して思うこと
それから数カ月は娘にとって辛い負荷試験の日が続きます。わたしも娘の通院のために仕事を休み、重たい気持ちを押し殺しながら娘を励まし続けます。
何度も何度も病院に通うようになって、ようやく気が付いたことがあります。
一緒に待合室で待つ子どもたちは、今まで地元やそれこそ普通の小児科でみかける子達と明らかに違っていたからです。
片腕のない子
喉にチューブをつけて呼吸をしている子
小学生くらいの大きさなのに赤ちゃんのように泣く子
こんなことをいってはダメかもしれないけど
わたしの娘はその中で一番普通に見えました。
普通
普通ってなんだろう。
急に疑問になったのもそのときです。
わたしは我が子の将来の身長が130cmだと診断されたとき、そんなの可哀想。そんなの普通じゃないと悲観になりました。
でも、
片腕のない子にしてみれば両腕の揃った娘は恵まれているでしょう
自分で呼吸できるということは明日を迎えるたびに、どれだけの安心感に包まれていることでしょう
自分の意思を持ち、相手に伝えることができるということほど心を満たすことはありません
わたしは、わたしがこれまで普通にみてきた世界を普通だと思って過ごしていましたが、それは違いました。
自分の持っているものに感謝する
人と比べて自分に無いものを悲しむよりも
今、自分が持ってて当たり前だと感じてることに改めて見直すべきだと気が付きました。
〇精子は1日で5000万~数億個作られるのに対し、
女性は一生の中で300~400個の卵子を排卵する〇ようやく排卵された卵子に到達する精子はわずか200個
(卵管に到達するまでに99%の精子が死滅していることになります)〇受精卵が子宮に辿りつき、無事着床するのは約20%~30%
人は様々な奇跡を繰り返してこの世に生まれてきます。
すでにいろんな奇跡を超えてで生まれてきた我が子を前に
例え困難があろうとも必ずそこには何かしらの意味があるのだと強く思います。
治療に通う子供たちとそれに付き添う親の心は
今を生きるための希望と葛藤の狭間で成長しているのです。
初めての負荷試験の日
娘の低身長に病名をつけるべくして行われた負荷試験は・朝8:00~昼14:00の長丁場
・ご飯抜き
・計4回のホルモン刺激薬の投与
・寝る、泣く、動くの行動制限
幼児にとっては過酷な試験でした。
不安でいっぱいな娘の前に、あの時冷酷に感じた先生がやってきて言いました。
「大丈夫だよ。これから一緒に頑張ろうね。」
沢山の子どもたちを診療してきた先生がこのときはじめて見せてくれた笑顔は、とても頼もしく感じたのはいう間でもありません。
間もなくして娘の病名が分かり治療が始まります。
これから十数年続く治療、しかも効果がどこまであるか分からない。
ですが、わたしと娘は未来に対する希望でいっぱいです。
娘が今もこうしてここにいる、
その存在自体に感謝することをそこで学んだからなのかもしれません。
おわりに
〇妊娠、出産はやく安定期に入ってほしい
五体満足に生まれてきてほしい
10月10日のマタニティライフは母としての自覚を育んできました。
〇子どもと成長
声出して笑うようになり
首や腰が座り
自分の足で歩くようになる
子どもの成長は自分のことのように嬉しくなります。
〇子どもと病気
風邪をひくたび心配になる
高熱を出すたび不安になる
先天性、後天性の病気に直面して未来が遠く暗く感じてしまう
健康であることの有り難さ、今このときを大切に過ごす重要性
1日1日に感謝することができればより我が子を愛おしく思えることでしょう。
今日に感謝を
この気持ちを胸にわたしは今日も母業をスタートさせるのです。