今日次女4歳と歩いて買い物に行きました。
お昼ごはんのお蕎麦に添えるネギを買いにいくだけの予定でした。
いざスーパーについてみるとビックリ!
「おむつスーパーセール!!!」
「鮮魚特売日!!」
「週末のおすすめ特価!」
主婦にはたまらない文字が並びます。
1歳息子のために思わず3パック買い。(1箱分)
ついでに明日の夕飯の買い出しまで済ませることに。
家までの距離はそんなに遠くないけれど、
結局わたしと娘はたくさんの荷物を持って歩かないといけない事態に陥りました。
次女はおむつを2袋持つことになりました
4歳になったばかり。片脇に1袋、もう片脇に1袋のおむつパックを持つと間に挟まれた娘の姿が小さく見えます。
「疲れたら教えてね」
カートを元の場所に戻し、わたしたちは歩き始めました。
娘の足元はおむつパックのせいでおぼつかず、どんどんペースダウンしていきます。
車持って出かければよかった
おむつ買わなければよかった
というか、わたしが持ってあげれば済む話じゃん?
娘の姿に申し訳ない気持ちになっていきました。
子供に尊敬される親になりたいって思ってた
・子供の気持ちを先読みできる・子供が必要とするときに手が差し伸べられる
・いつか大人になって思い出したとき、優しい温かいかっこいいと思えるような親になりたい
わたしは子供に尊敬される親になりたいってずっと思っていました。
でも実際はどうでしょう。
何も考えずスーパーに行き、(エコバックも忘れたし)
お得品に目を奪われ、その場の勢いで衝動買い
結果、子どもがそれにつき合わされへとへとになって歩いている
お菓子も買ってもらえず、弟のおむつを持たされ、
自分の先をあるく母親の背中を見て、娘は今なにを思うだろう。
振り返ればわたしは日々そんなことの繰り返しで、とてもじゃないけど子供に尊敬されるような母親ではありません。
尊敬されることより大切なもの
わたしのずっと後ろを歩く娘に声をかけました。わたし「大丈夫~~??ありがとうね!!」
娘は、ずるずるとおむつパックを引きずりながら息切れ気味に応えます。
娘「うん!!ママは大丈夫~~??
あと少しだからね。ママ、頑張ってね!!ありがとう!」
わたしのずっとずっと後ろ
フラフラしながら両脇のおむつを引きずってこっちに向かって歩く娘は、どういうわけかわたしを励ましていました。
こんなに荷物を持たされても娘はわたしを責めるどころか、
「一緒にがんばってる」そう奮起していたのです。
対等でいよう
親だから
母だから
わたしがしっかりお手本にならなくちゃ
尊敬されることを目指すわたしは
子供へのしつけや自分の立ち振る舞いにどこかプレッシャーを感じていました。
失敗を繰り返す
時に子供に負担をかけちゃう
ありがとうとごめんねを繰り返す
自分の理想を追うのをあきらめたとき、子どもとの目線、位置はいつだって対等です。
わたしは子供に学ばされるし、子供のおかげで成長できる
尊敬されることよりも大切なもの、それは
同じ目線、同じ立ち位置でお互いに感謝しあうことだと感じたのです。
ありがとう。
ごめんね。
わたしは親になった今、子供にそれを多く発信します。
ありがとう。
ごめんね。
戦友かのようにともに奮闘し、時に励ましてくれる娘たちがいます。
おわりに
家に到着したときは、互いに指に袋の痕がついていて荷物をおろすとじんわり温かくなりました。同時にわたしの心もぽかぽかしたのは言うまでもありません。
おむつパックの底がボロッボロになってたけど、ここまで頑張って歩いてくれた娘に感謝です。
「ありがとう。」
子供にむける感謝の気持ちを大切にしよう。
数百メートルの距離で学んだわたしの今日の出来事なのでした。