今日は朝から雲行きがどんより怪しかったのです。
夏休みだけど学童に行く娘のカバンに雨カッパを差し込みました。
向かう途中で本降りになっても可哀そうだったので今日は車で送ることにしました。
娘を学童に送り、そのまま会社へ向かう道のりでわたしは二人の小学生を見かけます。
娘と仲良しのお友達でわたしとも顔なじみのAちゃんと
Aちゃんのお友達だけどわたしの知らない女の子Bちゃん。
Aちゃんは傘をさしているけど、Bちゃんは傘を持っていません。
小学一年生の持つ傘は相合傘をしようとも小さくて、こんな土砂降りの日には何の役にも立ちそうもありませんでした。
さっき娘を送っていった学童にこの子たちを送るだけ。
わたしは車を横付けしてドアをあけ、親切心と安易な考えでAちゃんとBちゃんに声をかけます。
「雨大変でしょう。おばちゃんが学童まで送っていくよ!」
いかのおすし
知らない人についていかない知らない人の車にのらない
おおきな声で叫ぶ
すぐ逃げる
大人の人にしらせる
わたしは、学校にあるスローガンをそのまま娘にいつも言って聞かせています。
「知らない人についていってはダメよ。」
「話しかけられたら無視して走って逃げなさい」
全国ニュースで女の子を誘拐した犯人が顔見知りの保護者会長だったという事件を目にするようになってからは、
「知ってる人でもついていっちゃだめ」
というようになりました。
家から学校までの距離も近いけど、
身近な顔見知りはたくさんいるけど、
やっぱり安心できない事件ばかりが起こるのです。
土砂降りの雨の日、知らない女の子を車に乗せる乗せない問題
話を戻します。安易な親切心からわたしは娘のお友達2人に声をかけました。
「雨大変でしょう。おばちゃんが学童まで送ってくよ!」
傘を持っていないBちゃんはすぐにわたしの車に乗り込みました。
小さな傘をさすAちゃんはとっても迷っています。
Aちゃん「お母さんが・・ダメっていうから。わたしは歩いていく」
わたしはそこでハッとします。
そうかそうだよね。
でもすでに車に乗り込んだうえ傘を持ってないBちゃんをまたおろすわけには行きません。
わたしは結局、不安げな顔で歩き始めるAちゃんの横を車で抜き学童に向かいました。
わたしと顔なじみではないBちゃんは結局知らない人の車に乗ってしまったことになります。
乗り込むときは意気揚々と明るかったBちゃんもAちゃんが一緒に乗ってくれなかったことで口数はうんと減りました。
土砂降りの雨の日、親切心で知らない女の子を乗せてしまったわたしは今とても後悔しています。
Aちゃんはお母さんの言いつけを守り車には乗らなかったけど、お友達Bちゃんが大丈夫か心配だったに違いありません。
Bちゃんは雨に多く濡れずに済んだけど、知らない人の車に乗るということは必ずしもラッキーでも正解でもないのです。
何よりこの2人の登校をモヤモヤにしてしまったわたしが一番最低。
子供にとって学びにも得にもならないおせっかいをしてしまったとすごく反省しています。
学校でも家でも定着している「いかのおすし」スローガン
まだ小さな子供も、常識を踏まえた大人もその境目の歯がゆい部分で今葛藤しています。
子供たちが安心安全に成長できる世の中になってほしい
そのまま見て見ぬふりするのがよかったのか
はたまた、傘をとりにもどってかせばよかった話なのか
いまだ答えが見つかりません。
ただ、今回のわたしの行動が今の時世に合っていないことだけはわかります。
わたしが何をせずにいても
急に降ってきた雨に濡れることですらあの二人にとってみれば楽しいハプニングだったことでしょう。
そんなことが今頃になって安易に予想がつき、わたしの心をさらに重くさせました。
おわりに
今日、娘が帰ってきたら今日のことをなんて説明したらいいんだろう。きっと説明しなくてもいいことなんだろうけど、
大人の自分がいとも簡単に「いかのおすし」ルールを破ったことも
あっさり知らない子を車に乗せることに成功したことも事実です。
わたしの親切心は嘘じゃないし、裏も何もないけれど
世の中すべての大人がそうであるとは限りません。
「あなたは知らない人/知ってる人にもついていっちゃだめよ車に乗っちゃだめよ」と諭すわたしが自分でも情けない。
優しくて親切な大人がいっぱいる
子供にはもっと未来を明るく見据えてほしい。
日々平和でありますように。
反省と後悔を胸に、強く祈る今日のわたしなのでした。