なんでも許せます。
なんでも与えたくなります。
わがまましても泣きわめいても見ているわたしは笑ってしまいます。
なんだろうこの感覚
何かに似ている
あ、じじばばが孫ら(うちの子)にする姿そっくりなんだ!
3人目の末っ子長男を前にわたしはママではなくババになりました。
ジジババはどうして孫にそんなに甘いのか
・しつけしようの概念がない・無条件に愛してるから無条件に愛されたい
・この時期はもう長くはないと悟っている
「もう!甘やかすのは辞めてよ!」
何でもオッケーのじじばばを前にもう何度も言ってきたセリフ!
どういうわけか今ならジジババの気持ちが良くわかります。
すくすく育ってほしいという気持ちが先行しすぎて、
他人にどう思われるかを気にする気持ち、人に迷惑をかけないしっかりした子に育ってほしいというしつけ的な気持ち
そんな外的要素は二の次三の次になっていくのです。
子ども自身の気持ちを尊重したい
第一子ではいろんなことを目指して四苦八苦したからこそ、じじばばの持つこの感覚を失ってはいけないなと感じました。
わたしは母になって無条件に愛情を注いできたつもりですが、子育てを一通り巡って経験した今、わたしも愛されたい!と強く思うようになりました。
上の子2人がパパっ子なのもあるのかも。
一人くらいママっ子になってもいいじゃない。
ジジババが孫に甘々なのは
「だーいすき!」の言葉だけを聞きたいからってことに気づいたのです。
長女5歳、次女3歳
それぞれに赤ちゃんのときのエピソードや思い出はたくさんあるけどその経験を体感できたのはどれもほんのわずかな期間だけでした。
おっぱいが出ずに泣いた産後しばらくのわたしの夜も、おっぱいから離すため断乳に泣いた娘の夜もあんなに苦労したはずなのに今となっては一つのイベントを終えただけ。誰もが経験する記憶のひとつとして綺麗に整理されています。
「若いお母さんでいいね」
昔、長女の頃にはそういわれたことはあったけど、今息子の園にしてみたらわたしよりも若いお母さんはたくさんいます。
わたしはあっという間に年を取るし、子どももあっという間に大きくなりました。
どの年齢においても、今この時期の醍醐味を味わえるのは今だけです。
思い出せる限りの記憶よりも
キツイ、辛い、悲しい、嬉しい、楽しいの五感を現在進行形でもっといっぱい体感しておこうと思うようになりました。
もっとじじばばの在り方を見習おう
何でも与えるのは確かに欠点叱るべきときに許してしまうのも確かにダメ
目に余るほど孫に甘すぎるジジババの様子にヒヤヒヤ、ヤキモキすることもあるでしょう。
でも時に別の視点で見つめなおしたとき
子育ての核となる部分が隠されています。
・子どもの気持ちを尊重しよう
・子どもに愛される人になろう
・今この時間を大切にしよう
3人目を産んでからなぜか悟ったように我が子が愛おしく思えたのは、月日の流れの早さと記憶の不確かさを体感したから。
じじばばの孫への接し方を理解し、初めてその真髄が見えてきました。
立派になってほしい
成功してほしい
将来困らないように自立してほしい
親が子を前に課せられた責任は重大です。
だけど、もっと奥を見つめたときにじつはありきたりでどうってことないことが子育て重要ポイントだったりします。
ジジババの在り方を見つめよう!
そこには何かしらのヒントが隠されているかもしれません。
まとめ
長女の大人びた生意気発言にクスッと笑ってしまう。トイレ大失敗!フローリングに広がる次女のお漏らしに
「恥ずかしかったね。気づいてあげれなくてごめんね。」
叱るよりも先に娘も気持ちをくみ取れる。
トイレまでお風呂までキッチンまでどこまでも泣いてまとわりつく息子の顔にとろけそう。
このうざったさが愛されてる証拠となりわたしの母としての自信は急上昇です。
イライラしていた子育てが一瞬にしてキラメキだす。
子育ての核をジジババから気付いたわたしはどこか心穏やかです。
じじばばが孫に甘々すぎて困ってる!
やりすぎ厳禁な部分もありますが、子育てヒントは時にそんな部分からも見つかります。