わたしの母は、貯金が苦手で父が朝から晩まで働いて得た給料を付き合いや衝動ですぐに散財してしまうような母でした。
家事は苦手
母の作ったカレーは隠し味のチョコレートが全面に主張されてて、本当のカレーを食べるまでカレーはチョコレート味だと本気で思っていたものです。
掃除だって苦手
昔の人だから物を溜めこんで溜めこんで捨てることができません。
でも自分が母親になってから気づいたこと
母は子育てに関しては大変なプロでした。
なんでもない自分を「何者にでもなれる」と思い込ませてくれた
優等生ともちょっと違うどちらかといえば成績は中の下
反抗期はもちろんあったし
悪いこともたくさんした
決して消極的ではないけど
大した積極性があるわけでもない
ごくごく普通の子供なのに
わたしはなぜかいつも自信に満ち溢れていました。
失敗したときも落ち込んでいるときも
どこかで、やっぱり自分が可愛くて仕方ないのです。
なんでもないわたしですが
いつかわたしは何者かになれる!そんな想いが幼少期から今もくすぶっていていつもどこかで自信にあふれています。
だからこそ、
落ち込んだときに底力が湧くし、
つまらないと感じる普遍的な毎日にもワクワクを見つけるのは得意です。
「あなたなら大丈夫」
言われ続けた母の言葉は今も昔をわたしに勇気を与えてくれます。
自己肯定力
自己肯定感とは「自己を肯定する感覚」、つまり「自分は大切な存在だ」と感じる心の感覚です。
自分は大切な存在だ。
母がそう思わせてくれたおかげで、わたしはわたしをそして自分の周りを大切にする心を育みました。
高い学歴
高い収入
高い地位
それら以前に人間生活において、人間を豊かにするものは自分を大切に思う自己肯定力なのかもしれません。
わたしは何者にでもなれる。
新しいことへの挑戦やなにかにつまずいたときに自分を奮い立たせる力はいつもここから生まれてきます。
甘やかせるだけとも
ただ褒めるだけとも少し違う
母はどのようにしてわたしを育てたのだろうか
自分の記憶を手繰り寄せて、ここに振り返って残しておこうとおもいます。
わたしが「自分は大切な存在」と気づかせてくれた母の子育て法
初めて弟が生まれたとき、わたしは5歳でした。
これまで毎晩のように読んで聞かせてくれた絵本をわたしは一人で読まなくてはいけません。
昼夜泣き続ける弟の世話で母は大忙しだからです。
でも、弟が寝静まったほんの少しの間に母はわたしを抱っこしてわたしの好きなチョコレートをくれるのです。
その時間がより特別に感じたからわたしは我慢やさみしさをうまくコントロールできるようになりました。
愛されているという自信
自分に注がれる時間の長さより、特別な存在だと思える出来事の瞬間を与える。
この記憶の積み重ねでわたしは弟にも優しい気持ちで接することができました。
小学生になったわたしはとにかく忘れ物が多くて、
前日にいくら準備しようとも毎日何か一つが足りないって場面に何度も遭遇しました。
(お母さんが手伝ってくれなかったから)
(もっていくものが多すぎてこんなんじゃ一人でできない)
(べつになくてもそのときだけだし)
卑屈な自分が顔を出し始めます。
ついには通信簿にそのことが書かれるようになると、母はわたしに準備の仕方を教えてくれるようになりました。
・一度ランドセルの中身を全部出すこと
・メモをみて必要なものを並べること
・大きいものから順に入れると物が見やすく見つけやすくなること
小学生のわたしにはとても画期的な方法でした。
「忘れ物ない?」と聞かれることよりも自分がなにより安心でき、「ちゃんと確認しなさい」を言われるよりも確かな解決策だからです。
安心して失敗ができる
答えじゃなく方法を、結果ではなく過程を
はじめから全部やってしまえばいいだけの習慣を母は遠回りさせ一から導いてくれました。
わたしは失敗を経験し、克服することで自分のミスや失敗を誰かのせいにすることがなくなりました。
中学になってわたしは初めてイジメというものを体験しました。
いつも仲良しのグループに突然仲間外れにされたのです。
限られた環境でこの小さなコミュニティこそがすべてだった私は必至で仲間に取り込みます。
しかし、いくら謝ろうともご機嫌をとろうにも事態はなかなか好転してはくれません。
あまりにも情けなくて申し訳なくて家族には相談できませんでした。
しかし、ある日担任から呼び出されます。
担任「お母さんから電話があって、先生もずっと気になってたことなんだけど。最近元気ないけど学校でなにかあった?」
ずっと張りつめていた心の糸が一気にほぐれてわたしは職員室でわんわんと泣きました。
・自分ひとりで解決しようとしないこと
・誰かに相談すること
「自分がいじめられてると思われたくない」
母はわたしのプライドを守ったまま、解決できる糸口を差し出してくれたのです。
わたしは一人じゃない
学校という時間が一日の大半を占める生活になっても、
話すより隠すことの方が上手くなった年代になっても、
心や心境の変化に気づきすぐに助け舟をだしてくれました。
狭くなっていた視野を広げてみると、わたしを助けてくれる人は思うより周りにたくさんいるのです。
自分は一人じゃない。そのことに気づくと
・かまわない勇気
・違う友達の輪に入る勇気
・許すことの勇気
が自然とわいてくるのです。
高校生、初めての彼氏に初めて振られました。
二年も付き合ってて結婚しようね、なんて言ってたのにうそつき・・・!!
燃え上がるような青春まっただ中。
もう生きていけない。絵に描いたような失恋で夜通し泣いては食事ものどを通りません。
「お父さんに出会う前、お母さんも婚約して家まで作ってたのに破談になった失恋があるのよ。」
たくさんのなぐさめのシャワーを浴びてる中でも母の言葉はとてもインパクトがありました。
ときに肩書を超えて
「まだ高校生なんだから」
「子どもの恋愛なんてこんなもの」きっと親が並べるであろう言葉は一切なく、母はわたしをひとりの失恋した女性として対等に話を聞かせてくれました。
ここからわたしの母は、わたしの母であり、誰よりもわたしを理解してくれてる親友にも近い関係になっていったのです。
兄弟、姉妹の誕生
新しい何かの始まりとぶつかる試練
初めての挫折や理不尽な衝突、失恋
だれでも体験するであろう人生の局面にはいつも母の影がありました。
そして母がいたからこそ、乗り越えてきた部分も大きいのです。
子供の自己肯定力の育み方
結婚し、子を産み、わたしも母という立場になって、育児だけでなく仕事や家のことに日々苦戦中。毎日とはいかずとも子供の自己肯定力を育むために心がけていることがあります。
・できたを褒める
・できるのを見守る
・できないに共感する
掛け算九九が苦手な長女を見てて「どうしてこんなのもできないの」と思いつつ自分を振り返ってみると同じように苦労してた過去があります。
「お母さんも7の段が苦手だったよ」そういうと長女は安心した顔つきで九九の音読に励むのです。
できたを褒めるのは簡単。
でも実はできないことに共感することはもっと簡単。
なんとかしようと叱咤激励する育児よりも早く、子どもが自ら克服法を見つけだそうとします。
・大好きだと言葉で伝える
「もう分かってるってば!!」ちょっとうざったそうにする顔だって大好きよ。
ふと思い出す家族のことは、なんてことない場面の連続だから、その断片と併せて自分が愛されていたことを思い出してもらいたい。
・母は母であり、女であり、友でありつづける
料理を作り面倒な給食エプロンにアイロンをかける
だってそれは母親だから
毎日子供の髪をとかし綺麗に結う
だって可愛くなりたい女心を知っている女だから
苦手なことも隠さないし、あなたの苦手も受け入れる
だってあなたとなんでも話せる友達になりたいから
母親らしいこともするし、
当然自分自身の綺麗も大切にしていきたい。
女の子育児をするようになって、より女らしくいることの楽しさを知ったし
男の子育児をすることで、可愛いと褒められることの効果を実感しました。
親という名のマウンティングにおごらない
自分自身の母がそうであったように、わたしも苦手なことを隠さずにありのままの自分で子どもに接するようにしています。
おわりに
まだ母歴8年目
子供がどういう風に育っていくのかはまだ未知数
宿題に嫌気がさして駄々をこねる長女がいて
気分やでお調子者の次女がいて
スーパーマザコンの長男がいて
頭の火山が噴火しそうなときや
うまく家事をこなせられずに自己嫌悪に陥るときもあるけれど
夜、子どもたちが絡まるようにして横たう寝相を眺めると、
ここまですくすく育ってくれたことへの感謝にあわせて子供の弱点も強みに思えてくるから不思議です。
同時に自分がさっきまで感じていた後悔や自己嫌悪の気持ちも幾分柔らかくなり、あしたからまた頑張ろう、そんな気持ちにさせてくれます。
自己肯定力を育もう
もしかしたら、子どもだけでなく、親にとってもそれは大きな効果があるのかもしれません。