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男の子なのに女の子みたいな名前をつけた~命名と由来について

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わたしの息子は男なのに女みたいな名前がついています。

性別を言わずに名前を言うと、誰もが女の子だと勘違いするくらいです。

最近ではキラキラネームだとか妙に画数の多い名前を目にするし、
〇〇子や〇〇太郎のほうが古風でかえって印象が良いという意見もよく聞きます。

男なのに女のような名前を命名した我が家に言わせてみれば、
名前なんて愛称であり、その名の通りそこに親の愛さえあればもう、誰が何を意見する必要なんてない

正直、

ほっといてくれ

そう思うようになりました。


「命名」
そういうほどに、どういう名であれ親は名付けに命を吹き込んでます。

男の子なのに女の子みたいな名前をつけた

わたしの息子は「ちひろ」という名前です。

ジブリの「千と千尋の神隠し」というアニメも流行って、「ちひろ」は女の子に付ける名前の印象が強く、また周囲の環境から男の子の名前に「ちひろ」がほとんどいません。

「女の子みたいな名前!」

髪質が柔らかく、また上の子二人が女の子なのも影響して少し女子っぽい息子に誰もがそう言いました。

全く聞き慣れていない人にしてみると
男なのに女みたいな名前がついている、キラキラネームだね、なんて簡単に紐づけされてしまうのです。


ずっと欲しくて欲しくてたまらなかった長男
妊娠して性別がわかってから生まれるまでずっとずっと思案してきました。

「ちひろ」という名は我が家が熟考の末選んだ候補の中から、祖母が漢字を決めた渾身の命名でした。

親しい間柄では
「ちっち」
「ちーちゃん」
「ちー坊」
などのあだ名がつき、呼ぶ人によって息子はたくさんの愛を受け取ってここまで育ってきたのです。

我が子を愛おしいと思う気持ち~命名と由来

「女の子みたい」
「ちょっとキラキラ?」
「漢字って当て字なの??(普通)」


ちょっとの興味本位で意地悪なことを言う人もいます。
こんな名前かわいそう。
はたからみれば息子はそう思われるのでしょうか。

名前をいうと男の子の風貌を前に、ほとんどの人が「?」を思い浮かべる顔をしています。

わたしはいつの間にか名前を聞かれるとすぐに
「そう、女の子みたいな名前なの」
と言われてもいないのに勝手にフォローして話すようになりました。


ある日、長女の言葉で気づかされたことがあります。
寝かしつけの最中、何の気なく長女がこう言いました。

「ちーちゃんのことを思うと、涙が出そうになるくらい可愛いの。」

面倒見のよい長女は玄関で自分の靴より先に弟に靴を履かせます。
公園の滑り台では、弟の歩きに合わせてゆっくり階段を上り、弟の腰に腕を巻き優しく台を滑ります。
自分のお気に入りのおもちゃを譲り、髪を強く引っ張られようとも我慢します。

愛おしい

その気持ちを体現したときそれは、娘のいう
【涙が出そうになるほど可愛い】ということに気づかされました。

何があっても譲れないもの
何にかえても守りたいもの
誰に何を言われても変わることがないもの

成長していく過程
大人になったとき

自分にこの名前がついたことをどう思うのだろう

わたしは息子の名前に少なからずの懸念を抱いていましたが、長女のふとした言葉でそのすべてが杞憂であったことに気が付きました。

我が子が涙が出るほど可愛い

この気持ちを大切に今を育むだけで、子の名前は今後も輝き、子は自信をもって自身の好きな道を堂々と渡り歩いていけるような気がします。

少しばかりユニークな名前が、
一般的ではない名前が、

周りにバカにされたり
親がバカだと言われたり
就職活動に不利だとか
キラキラだとかDQNとか言われようとも

そこには命があり、由来があり
その根源に「我が子が愛おしい」と思う気持ちがあります。

誰に何を言われても、別に何も痛くもかゆくもない、

何にも代えがたい愛があり信念がある。だからこそ、誇りを持って欲しい。

どんな名前であっても、我が子には自信を持って生きて欲しい。


我が子3人に付けた名前が今後も輝き続けるように
わたしは思いを込めて我が子を愛し大切に育てあげようと思うようになりました。


おわりに

「みく」という名のわたしは、かつての幼少期、
赤毛のアン」という本にあこがれていて、
「どうしてわたしの名まえを【ダイアナ】ってつけてくれなかったの!」と親にブチ切れ続けた過去があります。

今でこそ、よくある名前ですが当時の世代を巡っても「ミク」という名前はあまり一般的ではありませんでした。
友だちにはミクという名を文字って「肉!肉!」とからかわれたこともあります。


大人になった今、わたしは「ミク」以外に考えられない顔付きをして、「ミク」らしい性格であり、「ミク」らしい人生を歩んだと気づかされます。

それはわたしの両親が名前うんぬん以前に、一個人としての私を大切に大切に育んでくれた証でしょう。

どんな名前であってもそこに命があり、由来があり、愛があるものです。

我が子の名を信念をもって育もう。

我が子3人の寝顔をみながらそんな壮大なことを胸に誓う今日の私の夜更かしなのでした。




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