時短勤務で働くママ VS 3人育児とちょいぽちゃ旦那

社会人歴=妻歴=ママ歴のわたしが、育児、夫婦、お金のことを書いてます。小さな発見を大切にをモットーにしたブログです。

👉人気記事セレクション

子どもを虐待してしまうかも!子育てに限界を感じたとき考えてほしいこと

スポンサーリンク


やっと寝かせたのにすぐ起きる
待ってって言ったのに待たない
触っちゃダメっていったそばからすぐ触る

自力で何もできない乳児にイライラ
言葉も常識も通用しない年少児にイライラ
聞き分けできるはずなのに我を通す年長児にイライラ

子育てって子ども相手に奮闘することより、自分の感情と戦うことが一番苦しくてつらいのです。

トイレトレーニング中の次女がやらかしたおもらしを片付けている横で
触らないように言ったスープの入りお茶碗を長女がひっくり返す、

やっと寝かせた長男(0歳)がその衝撃で驚いて再び雄たけびをあげる。

あぁマズい
もう嫌だ、限界
我が子が可愛くない

どうしようわたしいつか我が子を虐待してしまうかも

追い詰められたわたしが
心を落ち着かせるためにいろんな感情を右往左往しました。
今日は、自分の子育てに不安になったときの解決策、考え方を紹介します。


我が子が誕生するとき

・妊娠した時うれしかった
・膨らむお腹にワクワクした
・初めて産声を聞いたときは涙が出た
・寝顔を見るとたまらなく愛おしくなった


思い出してください。

検査薬で陽性が出た時の緊張感
たくさんの期待と合わさるようにして膨らんでいくお腹

やっときた!やっと会える!
はじめて陣痛は痛みより先にうれしかったのを覚えています。
(のちに激痛すぎてそんな余裕はなくなりますが・・・)

産声を聞いたときはそれまでの痛みや恐怖を超えて
とてつもなく幸せな気分になりました。

我が子が産まれた日、それは
今まで自分が幸せになることだけを考えていたわたしが
はじめて誰か(我が子)を幸せにしようと決意した日でもあります。

この子のためなら何でもできる
命を懸けて守っていこう、
ドラマでありがちなセリフそのままの感情を胸に誓ったのです。


初めて娘をぶった日

実はわたし長女(当時3歳)をぶったことがあります。
あれだけ、自分が幸せにすると誓ったはずなのに。

いつものスーパー、その日はなぜか大はしゃぎの娘。
まだ赤ちゃんだった次女を抱っこひもで抱えてカートにカゴをのせ入店してすぐのこと、気が付くと横にいたはずの長女がいなくなっていました。

焦って探すもどこにもいない
泣き声もしない

わたしの脳内は
連れ去りにでも遭っていたらどうしよう
もしかしてすでに外にでていて車にでも轢かれたら・・・

止まない動機を抑えつつ探しまわることしばらく
ヨーグルトやゼリーの陳列されているコーナーで、のんきにたくさんのデザートを抱える長女を発見しました。

わたしがデザートを棚に戻そうとすると
買えといわんばかりに大きな声で泣き始めます。

床に反り返ってジタバタする長女を脇に抱え、夕飯の買い出しを諦めて車に乗せ帰ることに・・。

重たい肩
買い物すらまともにできない自分
車内でなおも泣き止まない娘

積もり積もった苛立ちが限界に達したそのとき

バチンっ!!

平手で娘の頬をぶってしまったのです。

びっくりしてピタっと泣き止む娘
ハッとするわたし

時が止まったかのようにお互いが顔を見合わせました。

状況を掴んできた娘の顔がじんわり歪みはじめ、先ほどまでの顔と同じ顔で泣き始めます。

明らかに違うのは、この時流れた涙は
デザートを買ってほしくて泣いたさっきまでの涙ではなく
今、大好きなママにぶたれたショックで出てきた涙だったことでした。

わたしはこの時の娘の顔、
自分が情けないと感じたこの時の気持ちを一生忘れることはないでしょう。


子育てに限界
辛いと感じたとき考えてほしいこと

自分が居なくなったらどうなるかを想像してほしい

・旦那一人で子どものケアをできるのだろうか
・子どもにとってあなたとの思い出は素敵な出来事でいっぱいか
・子どもにしてあげたいことはちゃんと叶ったか

娘の髪を結えない旦那、きっとわたしがいなければ、これからさきずっとぐちゃぐちゃな髪で登園するのかもしれない

子ども記憶の中のわたしはいつも笑顔だろうか、怒ったままにしていることはないだろうか

一生分の愛を伝えることはできたのだろうか

わたしがいない我が家の生活を想像してみる。子育てが今日一日で終わるかもしれないと考えてみる。

子どもたちにとって私はなくてはならない存在だし、
わたしもまた、我が子が愛おしい
そう気づかされます。

もっとお洒落をさせたいし
沢山良い思い出を作ってあげたい
もっと好きだよって伝えたい

光陰矢の如し
月日の流れはあっと言う間で、もう二度戻ってくるものではない
死ぬわけではないとしても、
今日を送れるのは今日だけです。

今というこの時間はもう取り返すことができない貴重な一日なのかもしれません。


親は子の人生の全ては見守れないという事実を知ってほしい

・親は子より先に死ぬ
・子は見えないところで成長していく

おむつを替えて、夜泣きを一緒に泣きながら過ごし
しょうもない変顔をして2人で大笑いする。

24時間母であったわたしも、24時間子どもであったはずの子も
数年後には変わってしまいます。

自分でトイレだって行くし、自分で進路を決め、友達や恋人との時間を過ごしながらいつか巣立っていく

我が子と向き合い、寄り添い、関わり合える濃厚な時間には限りがあります。

自然の摂理でいけば、親は子より先に寿命がきますし、
子は見ていないところで自然と成長していきます。

わたしたち親は子どもの人生すべてを見守ることは不可能なのです。

一日、一日で子育てを区切ろう

子どもの幸せな未来をゴールにするよりも、一日の終わりをゴールにすることが単純であり楽しく過ごすことができます。


まとめ

明日わたしがいなくなったら我が家はどうなるんだろう

不謹慎でも、単純なこの妄想は、一日の重みを思い知らせてくれます。

今日を幸せに過ごそう!
たったこれだけの気持ちで取り組むだけでいいのです。すると、
子どもが引き起こすハプニングでさえも穏やかな気持ちで受け止めることができます。

今日という日は今日限り
今の子育て奮闘もこのとき限り

もちろんひとりぼっちで子育てに向き合う必要はありません。

時には家族や友人、周りのサポートに助けを求め、自分を休ませることも大切です。


抱きしめてチューしようとしたら照れて嫌がる我が子
少し前まではわたしが見えないだけでも号泣していたのになぁ

娘たちの成長にさみしくも微笑ましくもある今のわたし。

今日もたくさん笑うことを心がけて過ごしていきましょう。

f:id:mikumama:20170928142155j:plain