月曜日から金曜日まで時間に追われながら仕事をして、土日祝祭日を子どもや家族のために費やす日々
20代ならそれも良かった
アラサーになった今、
とってもヘトヘトです。
夜更かしできる週末の前夜に夜更かしできない
寝坊していいはずの週末の朝方に子どもたちにたたき起こされる
育児、仕事、育児ばっかりでもう嫌!
母業なんてもう嫌!
休みの日に休めないのが苦痛!
ダメ母でもいいからダラダラ夜更かししたいし昼までぐっすり寝ていたいです。
どうして育児中の土日祝祭日休みってこんなにもハードなんでしょう。
夫が仕事や出張で家にいない日の3人育児がどうしても辛い。
なんだか片付かない部屋に胸がざわざわ、可愛いはずの我が子にイライラ
いつもなら勢いと気力でなんとかなっていたはずなのに、追い詰められたわたしは心も体もゾンビになっていきました。
我が子を土曜保育に預けました
・別に仕事ではない・家族サービスをしようと思えばできる
・だけど預ける!
前もって保育園に依頼書を提出(我が子の保育園は事前に申請、前払い)
先生にお礼を言って保育園に預けてきました。
保育士不足が懸念される今、やはり親が休みなのに子どもを預けるなんてナンセンス!の声が多いのは十分承知
それでもこの日のわたしには時間が必要でした。
・家事がすすむ
・休みを休める
・わたしがわたしになる
家族に充てる日曜をより楽しく!来週からまた始まる仕事にまたフレッシュな気持ちで挑もう!
仕事がなくても土曜保育を利用する、そこにはママを救うヒントが隠されています。
土曜日のわたし
・洗濯が午前中で終わった!・掃除やそのほかの家事もスムーズに完了!
・さらには昼寝
・さらには家で映画
・さらにはブログを更新
やりたい!って思ってたことのすべてが実現できました。
お風呂掃除も隅々までぴかぴかに磨くこともできてすっきり!
いつもなら子どもに邪魔されて思うように進まない家事はすんなり完了したし、後回しにしがち、我慢しがちなこともしっかり遂行・満喫することができたのです。
時計をふとみるとまだ3時
まだまだ自分タイムを楽しむことはできるけど、すでに十分心が満たされたわたしは子どもたちをお迎えすることにしました。
きっとこの日1人で3人育児をしてたとしたら、わたしは笑顔で楽しく過ごすことなんてできなかった。
でも、こうして育児と仕事から離れることで自分自身を見つめなおすことができました。
今日この後のわたしは笑顔で優しいママになれる気がしたのです。
土曜日に保育園は可哀想?本当にそうでしょうか?
わたしは以前土日勤務のシフト制で働いていました。例え理由があってもなくても、土曜保育や延長保育に周囲の目は穏やかではありません。
「土曜日も保育園なんて可哀想」
「いつも延長保育だなんて子どもが寂しい思いをするじゃない」
「子どもは親の愛情が一番なんですよ」
そう声をかけてくるのは、近所のお節介なおばさま、義理家族、実母、保育園の先生であったりと様々です。
保育園に預けることがどこかで母親失格、ダメ親、甲斐性なしのような言われをされるのが心底苦痛な時もありました。
そして、何処かでイラついていました。
というのも、
誰かに言われるよりもわたしはずっとずっと前からそれにぶつかりながら過ごしてきたからです。
この子の赤ちゃん返りが酷いのはわたしの愛情が足りてないんだろうか。
仕事辞めた方がこの子にとって幸せなんじゃないだろうか。
育児書通りにはいかない子育てはわたしを毎回戸惑わせたし、仕事と育児の両立生活は今も葛藤の連続です。
ただでさえも出来損ないのわたし。
裁縫が苦手なわたしが作った提出物は他のママの作ったものよりも遥かにボロボロすぎて娘に申し訳ない。
申し訳ない
わたしはそんな気持ちを繰り返しながら時に努力し、時にかみ砕きながら消化していきました。
その過程で
わたしは自力で万全万能な母にはなれないと自覚します。
不安、不満を聞いてほしい
教えてほしい
手伝ってほしい
そうすれば、わたし良いママになれる気がする・・・
わたしが万全万能な母になるためには、誰かの力が必要です。
夫であったり、家族であったり、保育園の先生であったり、市の制度やサービスであったりと形は様々
我が子にとってもわたしにとっても保育園という場所は親戚よりも身近で温かいと思える場所です。
保育園に通う我が子を見つめなおしたとき
・集団生活で協調性を学んできた
・生活リズムが整った
・悔しい、悲しい、うれしい、楽しいを繰り返して強くたくましくなった
お友達や先生との関わりを通して、人間関係の煩わしさや楽しさをしっかり体感中です。いっぱい遊んでいっぱい寝る、手洗い習慣や挨拶がスムーズに浸透したのも保育園が幼児教育に特化しているからでしょう
同時にわたし自身にも変化が起きます。
・安心して仕事に行ける
・トイトレ、栄養管理のストレスが減る
・母が母として定期的にリフレッシュ、リスタートできるきっかけになる
産休中に一人で向き合い、一人でつまづき、一人で解決してきたあのときとは全く違う。
あらゆる場面で保育園に救われ、ときに頼り甘えることで、わたしはわたしを維持できています。
良き母でいよう、どんなにはちゃめちゃでも我が子が可愛い、また明日もがんばろうと身体の奥から力が沸いてくるのです。
仕事帰り、真っ暗になった外を手をつなぎながら歩く帰り道
家事も育児もいっぱいいっぱいだけど、今日の夕飯メニューを当てっこしながら弾む娘との会話はいつもどこか穏やかです。
土曜保育、延長保育に罪悪感は感じないで!
あなたが穏やかに柔らかい笑顔で我が子をお迎えできればそれが子どもにとっての全てなのです。
まとめ
仕事ではない=保育に欠ける状態ではないのだから、土曜保育はルール違反だ、子どもとしっかり向き合ってほしい。
そういう声はごもっともで、当然で、常識だと思います。
ですが、仕事が家事が育児が辛い
いっぱいいっぱいになったときに、頼れる場所がもっとあってもいいと思えるのです。
保育士不足、待機児童問題、認可保育園の減少
近代の問題を前に言うべきことではないかもしれない。
でも昔のようにそれこそ「近所の他人」に頼れるほど平和でアットホームな社会でもなくなってきました。
閉塞的になっていく今の子育てをもっと身近で助け合いたい。
制度やルールに重んじるあまり子育てを孤独に感じる母親たちがもっと心開ける世の中になって欲しいと願っています。
仕事もない土曜日、子どもたちを保育園に預けたわたしは久々にのんびり休めました。
満たされたわたしはちょっぴり早く我が子のお迎えにいきます。
わたしの顔を見たときの笑顔が眩しい
いそいそと自分よりも大きなカバンを背負おうとする姿がたくましい
「今日の夕飯何にしよっか!なんでもいいよ!」
わたしは万能な母になれた気がして、ぎゅっと我が子の手を握るのです。
明日からの子育てをわたしはより強い信念を持って挑んでいけることでしょう。