月曜日と土曜日と金曜日
大好きな趣味のバスケットに出掛けるときだけ育児に精を出すわたしの夫
それ以外は夜更かし朝寝坊のぐーたら夫
気まぐれで作ってくれるカルボナーラ
冷蔵庫にある粉チーズの賞味期限をみてその前の気まぐれがいつだったか把握できるの。
お給料いくらもらってるの?
共働き、お財布別々のわたしたちだけど、ある日転がってる給料明細書はわたしに手渡す額でギリギリのお給料でした。
育児しない
家事しない
稼がない
そんな三拍子が揃ったわたしの夫
毎晩モヤモヤ
毎朝イライラ
口に出す言葉はいつも刺々しい
チクチクトゲトゲ毎日イラつくわたしは可愛らしい妻ではないし、夫はイクメン家事メン容姿端麗なイケメンでもありません。
誰が見ても理想的ではない夫婦
わたし自身こんな結婚望んでいなかった
わたしと夫はゼロの関係
独身時代はこんな結婚望んでなかったイクメン、イケメン、家事メンの完璧で稼ぐやり手サラリーマンに
悠々自適専業主婦で育児専念のわたしが理想だった。
結婚し、子供を産んでどうだろう。
育児・家事ばかりのわたし。
なんだかんだで共働き。
何もかも理想じゃないのに
そんな現実に満足している自分がいるのです。
年老いて、いずれ死ぬときがくれば夫にそっと寄り添っていてほしい。
わたしはそうも思っています。
ゼロである関係
夫の収入、わたしの収入
家賃、水道、光熱費、育児を合わせると
生活をする上でお互い力を合わせてもゼロになるときがあります。
夫の特技はわたしの不得意
わたしの特技は夫の不得意
性格が違いすぎるからこそ、補える不足がたくさんあります。
余計な一言が多いわたし
肝心なことを言ってくれない夫
+と-はこうも極端だとちょうどいいラインまでお互いが踏み込むしかありません。
お互いにとって、メリットとデメリットがちょうど良いところで収まっている。
わたしが夕飯のおかずを焦がしても黙々と全部たいらげる
子供がぐずると「またか」と呆れるわたし、「どうしたの?」と真剣にたじろぎ向き合う夫
麺がゆるゆるでも、チーズの味が濃すぎてもパパがつくるカルボナーラは天下一品です。
全力すぎるわたしと脱力系すぎる夫は
ちょうど良いところでいつも帳尻が合うのです。
真剣に夫婦の老後を考える
子どもは過保護でも放任でもいずれ大人になります。家事は必要最低限でいいことも学びました。
作るご飯もわざわざ食べに行くご飯も美味しいのです。
家事分担だとか育児の比重だとか
この先数年後を思えばすべてがどうでもいいことです。
いろんなしがらみから解放されたときわたしは何を思うだろう。
ちょっと天然でおバカな夫
無口で聞き上手な夫
どんなときも平然として気持ちが安定している夫
子が巣立ち、育児から解放されたとき
わたしは家事のノウハウも知って上手な手抜き技が備わっているだろう。
別に大金持ちじゃなくていいから可も不可もないのんびり静かな人生を送りたい。
わたしは老後を彼と一緒に暮らしたい。
育児に毎度オロオロしようとも
家事がモタモタしようとも
バリバリガンガンエリートサラリーマンでいなくてもいい
すべてのプレッシャーを引っこ抜いたとき、
わたしはそのままの夫が好きでそのままの彼と結婚したことに気が付きました。
本当になにもしない夫なのか振り返る
わたしがブログをしたいといったとき自分の少ないおこずかいでわたしにパソコンをプレゼントしてくれました。
楽しいの話も
悲しいの話も
顔色を変えることなく最期までわたしのはなしを真面目に聞いてくれます。
自分の好きなドラクエ
妻の好きなパソコンいじりで
お互い会話を交わすことなく同じ空間で同じ夜が更けていく
通うことは何一つないのに居心地はいいのはあなたが側にいるからだと知りました。
してやってる!とおもってた生活の中には
してもらっていることの連続で
幸せ!と思う毎日の中には
誰かの気遣いと思いやりの連続なのです。
わたしだけ、そう思っていた結婚生活の中に、夫だけが努力している瞬間もある。
改めてそんな気遣いや思いやりのある夫と
おじいちゃんおばあちゃんになれたらいいなと思うことができました。
おわりに
子供そっちのけで自分のこと
朝が苦手
趣味の没頭
単細胞
今はデメリットだらけの夫の特性は、わたしが人生の最後に体感したいフリーダムな世界観でもあります。
単純に生きて単純死にたい
実はルールに縛って狭くなっていたのは私のほう。
ちょっとしたところで気を抜き、息を抜けば見える世界は変わるのかもしれません。
今を自由にそして感謝を
夫の生き方をねたんでいたはずだけど
結局はすべてが羨ましくて寄り添ってみていたい人生でもあることに気が付きました。